黒蜥蜴

 年齢(としごろ)廿五六の男、風體(ふうてい)は職人。既(は)や暮れんとせる夏の日の、暑熱(あつさ)尚ほ堪へ難くてや、記章袢天(しるしばんてん)の胸を開きて、浅黄の色褪せし手拭に汗を拭きつつ、腿より脛には蔽ふものもなくて、表も鼻緒も砂塵(ほこり)に古びたる麻裏を、突掛(つつかけ)草履の歩(あゆみ)いそがしげなり。

 身材(せい)は短(ひく)き方(かた)にて、肉肥満(ししこえ)たり。憎気(にくげ)なき丸顔の色白く、鼻は高からねど形恰(かつかう)好く、細く長き眼は常に笑(ゑ)めるが如く、口は屹(き)と結びたれど、むつかしげならず、耳を蔽ふばかりに伸びし頭髪(かみ)は、垢づき乱れたり。

 日本橋区濱町三丁目を傍目(わきめ)もふらず、頭(かしら)は重げなれど歩(あし)はせはしげなり。ふと面(かほ)を上げて我ながら呆れし風情(ふぜい)。

「何の事だ。おやおや。」と呟きつ歩(あし)を返し、右側なる薬種屋(やくしゆや)の横手の露路へ入りたり。

 露路を入れば、裏には三軒立(だち)の棟割長屋。取付(とりつき)には相用(あひもち)の井戸あり。井戸に沿ひし長屋の一軒(ひとつ)より、足音を聞付けしにや顔を出(いだ)せしは、霜降(しもふり)頭の老婆なり。

「與太(よた)さん。」と、老婆は通掛(とほりかゝ)りし男を呼び掛け、「如何(どう)だつたい。産婆(ばアさん)は居たかい。」と、眉根(まゆ)を顰(ひそ)めて返辞を伺ふ體(てい)。

 與太郎は上眼に老婆を見て、点頭(うなづ)く様に会釈し、「あゝ、直きに行くツて。」

「そりや好(い)い塩梅(あんばい)だ。早く来て呉れねえぢや、何だか心細くツて。其(それ)もね、私に経験(おぼえ)がありやア訳やねえんだが、はらはらするばッかしで、役に立ちや為(し)ねえ。何(どツ)ちにしたツて早く来て貰ひてえよ。それにお前(めえ)、困ツちまふよ、れこにも。」と、拇指(おやゆび)を出して眼を丸くし、「一方にやアお都賀(つが)さんが、今にも出産(とびだ)しさうに陣痛(かぶ)るツて、うんうん吁鳴(うな)つてるのに、徳利と首引(くびツぴ)きか何かで、怒鳴りツ通しだらうぢやないか。お都賀さんが可哀想だから、私もお前の歸宅(けえ)る迄ともつて、今し方迄介抱(つい)てたんだけれどね、終(しめえ)にや私に喰つて掛るんだよ。お都賀さんにや気の毒だが、仕様がねえから、いま引上げたところさ。お前早く歸宅(かえ)つて遣(や)んねえ、お都賀さんがお前を待つて泣いてるわな、可哀想に。」

「すまねえ、すまねえ。叔母さん勘忍して呉んねえ。」と、與太郎は気の毒さうに打詫(うちわ)びつゝ嘆息す。訴へ顔せし老婆も今は慰め顔。「なにお前(めえ)、お前にや実(ほん)に気の毒さ。性来(しやうぶん)だから為様(しやう)がねえが、お前の爺(とツ)さんだけれど、彼様(あんな)人は無(ね)えよ。お前は親孝行だし、お都賀さんは順(やさ)しくするんだし、何(なん)にも不足アあるめえに、如何して彼様(あんな)だらうかねえ。」

「どうも為様がねえ。叔母さん、お前にや実(ほん)に済まねえ。」

「あれ、また怒鳴つてるよ。早く歸宅(かえ)つてお遣りよ。」

「実(ほん)に為様がねえなア。」

 與太郎は老婆に辞(わか)れ、空屋(あきや)を一軒隔てし長屋の奥隣、我家の門口(かどぐち)を入るより早く、小言(こごと)は脳天へ落掛りぬ。

「やい、與太、與太ン兵衛、何処を魔誤(まご)ついてやがるんでえ。嚊(かゝあ)の事だと云やア、鼻汁(はな)ツ垂しめツ、二つ返辞でアクセキ(=表記できない)しやアがツて、親にや構やアがらねえんだな。お都賀と共謀(ぐる)になつて、親に当りやアがるんだな。当るなら当つて見ろい、ヘん年は老(よ)つたツて鍾馗(しようき)の吉五郎(きちごらう)だ。さア何とでも為(し)て見やアがれ。」

 與太郎の父吉五郎と云へるは、年六十に近けれども、骨太く肉脂(にくあぶら)づきたり。太く高き鼻の先垂れて鳶の嘴(はし)の如く、大なる眼は白眼がちてぎよろ付き、唇厚くして且つ反(そ)りたり。赭(あか)く禿げて光りたる頭上(あたま)には、十筋ばかりの白髪(しらが)を集めて鬢(つと)を落し、刷毛先(はけさき)を散らしたるは、鉞銀杏(まさかりいてふ)の昔を尚ほ今に忍べるにや。明衣(ゆかた)は脱ぎて投出し、年には羞しかるべき鍾馗の文身(いれずみ)を、素裸になりて胡坐(あぐら)をかきたり。前には鮪の刺身を竹の皮のまま、膳をも出(いだ)さで畳に置き、右手(めて)には五合徳利、左手(ゆんで)には、盃に湯呑をさへ面倒なりとや、飯茶碗をとりたり。

 家は土間、炊場(ながし)をも合せて六畳の一間。壁と壁との一隅(かたすみ)、左(さ)なきだに小暗(をぐら)きを半屏風に囲ひつ、他の一隅(かたすみ)には、大工を家業(なりはひ)の道具箱を押寄せあり。押入の奥は見えねど、一棹(ひとさを)の箪笥(たんす)だになく、長火鉢と竈(へつつひ)との二つが、僅かに家の飾りとぞ見ゆめる。

 中央(まんなか)に胡坐をかきたる吉五郎、既(は)や青くなるまでに酔(ゑ)ひ、口はヘの字結び、瞳子(ひとみ)は上眼(うはめ)に瞿(すわ)り、まだ土間に立ちたる與太郎を屹(きつ)と睨みて、

「さア如何(どう)でも為(し)やアがれ。年は老つたッて鍾馗の吉五郎でい。箆棒(べらぼう)めツ、與太、手前(てめえ)なんぞにや指一本ささせねえぞ。さア何とでも為やアがれ。」

 與太郎は上にあがりて、「家爺(ちやん)お前如何(どう)為(し)たてえんだよ。おいらは何とも云つてやア為ねえよ。お前を如何しろてツたツて、串戯(じやうだん)ぢやアねえ、如何なるもんかね。腹ア立つ事があつたら、おいら謝罪(あやま)るからねえ、家爺、勘忍して呉んねえな。」と、父を和(なだ)めて、屏風の傍に立寄らんとするを、「與太待てツ。」と、呼止むる吉五郎。

「何だよ、家爺。」と、振返る與太郎をはたと睨み、「何だよたア何でえ。此処へ来い。えゝ、何故来やがらねえんだ。」

 父の命(ことば)に詮方なけれど、與太郎は産に難(なや)める女房の上気遣(きづか)はしく、立ちながら屏風の内をさし覗けば、枕にしがみ付きて、苦痛を耐へ忍べるお都賀、顔も得(え)あげで、乱れたる頭髪(かみ)の打顫(うちふる)へり。

「愚頭々々(ぐづぐづ)しねえで、来いと云つたら来ねえか。」と、噛付くが如く罵る吉五郎。

「お前さん、は、は、早く、お出でよ。」と、云ふ声の断続(きれぎれ)に苦痛(くるしさ)も察(おも)はれ、蟲の音なる女房が言葉に、與太郎は尚ほ一歩(ひとあし)進み寄りて、「今直きに産婆(ばアさん)が来るからな、耐忍(がまん)して居ねえよ。」

「あ! 心配してお呉れでない。もう、なアに、苦しかア……何ともありやしないよ。私(あたし)ん所(とか)ア能(い)いから、は、は、早く、お出でよ、お家父(とツ)さんが呼んでお居でだから。」

「耐忍(がまん)しねえ。もう直きに来るんだから。」と、女房を慰め置きつ、與太郎は腕打組みて、吉五郎が前へ坐りたり。

「おい與太。手前何だな、乃公(おいら)と話す間(ひま)もねえんだな。」と、茶碗に八分目の酒を一息に飲み乾し、長き息をふうツと吐く。

 與太郎は眼を閉ぢて垂頭(うなづ)き、「其様(そんな)事アありやしねえよ。今帰宅(けえ)つた所なんで、鳥渡(ちよいと)いま……。」

「今帰宅つたなア、手前から聞かねえでも知つてらア。手前何の用があつて、何処へ行きやアがツたんでい。」

「何処へツて、産婆(ばアさん)を呼びに。お都賀が陣痛(むしがかぶ)つて、今にも飛出しさうなんで。見ねえな……。」と、吉五郎が顔を屹(きツ)と見て、其目に産婦を見返り、「如何(あんな)に苦(せつ)ながりやがるから、産婆(ばアさん)を呼びに行つて、今帰宅(けえ)つて、鳥渡(ちよいと)お都賀の……。」

「だから云はねえ事か。一人前(いちにんめえ)の腕も持たねえで、孩兒(がき)い生(こせ)えて、手前其(それ)で如何(どう)する積りなんでい。」

「如何するツたツて、お前、今更其様(そんな)……為様(しやう)がねえよ。」

「為様がねえものを、何故こせえやがツたんでい。」

「だツて…。困ツちまはア。」

「何だと、困ツちまふだア。」と、乗出すが如く顔を進めて眼を怒らし、「生意気なことを抜かしやアがるない。箆棒(べらぼう)めツ、手前の様な意気地なしにや、嚊(かかア)は有(も)てねえツて、最初(はじめ)ツから云つてるんだ。嚊を有ちやア兒(がき)が出来るてえなア、手前の様な没分暁漢(わからずや)にだツて、分らねえ事はあるめえ。今でせえ、箆棒めツ、たツた一人の親の口を乾(ほ)しやがるぢやねえか。」

「家爺(ちやん)、静かに云つて呉んねえな。」と、與太郎は家外(おもて)を見返り、「外聞(げえぶん)が悪いやね、親の口を乾すだなんて。」父を見る眼も自(おの)づと力む。

 吉五郎は空(から)になりし徳利(とツくり)を板の間に投(はふり)出し、「其面(そのつら)何でい。其様面ア為やがつて、如何為ようと云ふんでい。やい與太ツ、手前外聞(げえぶん)が悪(わり)いてえ事知つてる気か。よう、與太ツ。」

 與太郎は相手にならざるこそ能(よ)けれ、とは思へども立ちもならず、今は倒(なかなか)に尻を据ゑつ、腰の煙草袋(いれ)を取り出(いだ)し、伏目になりて煙草を吸(の)む、其眉頭(まゆ)には顰(ひそ)みも見ゆ。

 吉五郎は徳利を取上げ、これ見よがしに振揺(ふりうご)かしつ。「六十近い老親(おや)の口に、好(うめ)い酒一杯(いつぺえ)宛行(あてが)へねえで箆棒めツ、外聞が悪いたア、何吐(ぬか)しやがんでい。年老(よ)つて楽が為(し)たけりやこそ、手前の様な無気力(いくぢなし)野郎を、馴れねえ男の手一つで人間並に為て遣つたんだ。職業(しごと)も碌素法(ろくすツぱふ)出来ねえ木葉大工(こツぱでえく)の癖しやがツて、直(じ)きに嚊の詮索よ。親へ楽な思ひもさせやがらねえで、嚊の御託(ごたく)も凄(すさま)じいや。初めツから云はねえ事(こツ)ちやねえんだぞ。お都賀が来やがツてから、口が殖えたの何のツて漸々(だんだん)乃公(おいら)の口を絞りやアがつて、此頃ぢやア五合(ごんつく)と相場を定(き)めツちまやアがつたぢやねえか。此上孩兒(がき)なんぞ出産(ひりだ)されて、おたまり小法師(こぼし)があるもんかい。孩兒が生れりやア、乃公はどんな目に会はされるかも知れやしねえ。ヘん、老人(ぢぢい)の乾物(ひもの)なんざア、何処(どけ)へ持つてツたツて、銭にやなるめえぜ。加之(おまけ)に無塩(ぶえん)の脂ツ気なしと来ちや、與太、手前捨所(すてどころ)にも魔誤つくだらうぜ。」と云ひ止(や)んで、空徳利を傾(うつむ)けて茶碗へつがんとし、「ヘん、何の事アねえ、のの字を書いたツて初まらねえ奴よ。」と、又もや徳利を投出しぬ。

「無(ね)えんだねえ。なけりや今買(と)つて来るよ。済まねえけれど、産婆(ばアさん)が来る迄だ、鳥渡(ちよいと)待つて呉んねえよ。お前の云ふ通り、お都賀を娶(もら)つたなア、自分(おいら)が悪かつたから勘忍して呉んねえ。今更追出されるもんでもねえし、其(それ)に孩兒(がき)が出来ちやア、もう詮方(しやう)がねえよ。お前が年老(とるとし)で、四肢(からだ)は漸々(だんだん)きかなくなるし、其世話をさせてえと思つたから、お都賀を娶(よ)んだ様なものの、如何(どう)した訳だか、お前(めえ)の気にや入らねえし、自分(おいら)ア実に後悔してるんだ。だがね家爺(ちやん)、お前だッて孫だ。自分(おいら)だッて自分(てめえ)の孩兒の面(つら)初めて見るんだから、今日は先づ目出度(めでて)えんだ。子よりも孫は可愛いとさへ云ふ位(くれえ)だから、お前も耐忍(がまん)して機嫌を直して呉んねえよ。今日一日––孩兒が出産(とびだ)しやアがるまで、後生だから機嫌を直して温和(おとなし)く飲酒(のん)で居て呉んねえ。産婆(ばアさん)が来せいすりや、自分(おいら)が大阪屋へ行つて、お前の飲みてえだけ、一升だツて二升だツて買(と)つて来ようよ。後生だ、孩兒が出産(とびだ)すまで、家爺(ちやん)、耐忍(がまん)して居て呉んねえ。」

「箆棒めッ、世間の奴等ア知らねえが、おらア孫の面なんざア見たくもねえんだ。お都賀の腹から出やがるんぢや、どうせ人間並の面アして居めえよ。手前産婆(とりあげばばア)なんざ呼ばねえで、香具師(やし)でも呼んで来やアがりや能(い)いんだ。其方が余程(よツぽど)儲けづくだぜ。」

 屏風の内には忍びかねてや、吁鳴(うな)る声のいと苦しげなり。

 與太郎は屏風の方(かた)を見返り、また父の方へ対(むか)ひて、「まア能(い)いやね。どうせ碌な孩兒(がき)や出来めえよ。種々(いろんな)事を聞いちやア血が上るめえとも……。」と、静かに立ちて屏風に立寄る。

 吉五郎は見送りて冷笑(あざわら)ひ、「へん、嚊(かかア)となりや彼様(あんな)阿魔(あま)でも、憎くもねえさうだ。はゝはゝゝゝ。酉(とり)の市(まち)の売残(うれのこ)りなら強勢(がうせい)だが、蟾蜍(ひきがへる)の隻目(はんめ)と来ちやア、昔なら兩国だが、今ぢやア奥山(おくやま)もんだ。生れた其子が蛇男、親の因果が子に報う、やア評判ぢや評判ぢや」と、空徳利もて板の間を打ち敲(たた)く。

 女房の手前(てまへ)気の毒さは云ふにも足らず、萬一(もし)血の上る事ありもせばと、與太郎は毟(むし)りたき程切なき胸を、斯かる父(おや)を有(も)ちし身の不勝(ふしよう)と押鎮(おししづ)めても、流石(さすが)に涙ぐみたる眼に、屏風の中をさし覗けば、お都賀は枕に顔を押当て、岳父(しうと)の悪口(あくこう)に裂けなんず胸の苦しさに、時を限(き)つて催し来る陣痛を、声立てまじと身を悶えて忍べる體(てい)。與太郎は見るに眼を閉ぢ、枕頭(まくらもと)に坐りし膝は戦(わなな)きたり。

 お都賀の肩に手を掛けたる與太郎、「お都賀。」「え。」と、お都賀は顔も得あげで、僅かに漏らす返事だに、忍音(しのびね)にして涙(なんだ)をもちたり。

「辛棒して呉んねえ、よう。今なァ、産婆(ばアさん)も今来るから、霎時(ちツと)の間(ま)の辛棒だ。耐忍(がまん)してなア、自分(おいら)が知つてらア、手前が心配(しんぺえ)することアねえんだ。能いか。恨むない。恨んで呉れるな、よう。お願ひだ。」と、耳に口を寄せつつ云へば、「あー、なアに、私(あたし)や恨む––人を恨む事はねえよ、自分(てめえ)を恨むばかりなんだよ。だがね與太さん、私(あたし)や実に因果なんだね。考へると……。」と云ひかけて、サグ(=手ヘンに、八)り手に夫の手を確(しか)と握り、身を顫はしつつ泣く。

 

    二

 

 お都賀は俗に厄年と云ふ十九。細面(ほそおもて)にして下品(げす)ならぬ面貌(かほだち)も、名から松皮(まつかは)と称(よ)ばるる黒痘痕(くろあばた)、眼さへ左には星入(い)りたり、鼻も口も尋常ながら、眉毛(まゆ)は赤土(あかつち)の土手に、枯木の扶疎(まばら)なるも斯くや。髪はいぼじり巻の鬢(びん)も髱(たぼ)も、火の点(つ)くばかり脂(あぶら)なく乱れぬ。苦痛(くるしみ)に神(しん)労(つか)れ気衰ヘ、結びし唇頭(くちびる)打顫ひ、夫を見上げし眼は、白眼(しろめ)に血さへ走りたり。

 面(おもて)は人の花、眼はまた面(おもて)の花なるべし。色の白きにも七難は包(かく)すと云ふに、面(かほ)の色は黒きが上に赭味(あかみ)を帯(も)ち、薄痘(うすいも)さへ可厭(いや)なるを、目に釘する松皮痘痕(はうそう)、吉五郎が口癖として、隻目(はんめ)の蟾蜍(ひきがへる)と罵れるも、憎きが上の悪口(あくこう)のみにはあらざりけり。

 なべての上に美しきを愛(め)づるは、自然(おのづから)なる人情(ひとごころ)、況(ま)して百年偕老(かいらう)の妻を選(えら)まんに、美人癡(ち)漢と眠れるが多き世に、如何(いか)なれば一つならず二つまで、花の色香なきをば摘(と)りたりし、與太郎が意中こそ不審(いぶか)しけれ。

 與太郎と吉五郎とは、血を分ちし親子にはあらざりけり。吉五郎が女房われに子なきを悲しみ、世話する者あるに任せ、親知らずの約束して、腹も痛めず我子となせしは、與太郎が二歳(ふたつ)の秋の暮なりきと云ふ。

 雛人形はおろか、狆(ちん)猫さへ生(まう)けし子の心になりて愛づること、石女(うまずめ)には多き例(ためし)なれば、況(ま)して神かけ欲しかりし兒の、われを親とし馴染(なじ)むに、他家(よそ)の親には笑はるるまで、限りもなう鍾愛(かはい)がりし與太郎が養母は、今より十年以前(むかし)、春三月雪降りし年の、其月の上旬(はじめ)より余寒に中(あ)てられ、幸(さち)なく余病さへ起りて、半月とは臥しもせで、散るを櫻花(さくら)の盛りなる頃脆くも世を捨てたりき。斯(か)かりしより後、與太郎は吉五郎が手に成人(ひととな)りて、軈(やが)てぞ小腕(こうで)ながら父には勝り、朝夕(てうせき)に追はれざる迄にはなりけるなり。似た者夫婦のみにはあらざりけり。吉五郎は其妻に異(かは)りて、與太郎を子とし愛せるならねば、女房世を去りし後は、職業(しごと)思はしからずとて、我のみ酒臭き息を吐きても、與太郎へは朝夕(てうせき)を缺かしめし事も多かりき。斯くしつつも尚ほ與太郎を養ひ、螟蛉(やしなひご)なる由をも知らしめざりしは、思ひの外(ほか)小腕の利きて、あはれ一人前の大工となりなん見込あれば、これに依りて老後を安くせんと思ひたればなりけり。養母が與太郎の螟蛉(やしなひご)なる由を、彼のみにはあらず、世間へも深く包みし上、度々住居(すまひ)を転(か)へたれば、與太郎は其(そ)を知らん機会(をり)なかりき。父の辛きにつけては、飢に眠(ね)られざる夜半(よは)の枕に、亡母愛懐(なきははなつかし)の涙は注げど、さて父を恨まん心はなく、命とし好きなる酒なるを、何程(なにほど)飲まれたればとて、何程の事かあるべき、稼ぐに追付く貧乏なしとさへ云ふものを、老後を樂しくさせてこそ、養育の恩の萬分(まんぶ)一をも報ずるなれと、日毎の賃金(かせぎ)は我手へ留めずして、悉(ことごと)く父に呈(わた)し、尚ほ酒料(のみしろ)の不足(たらざ)ることを憂ヘ、おのれは粗衣粗食を分とし、花街(いろざと)は云ふも愚(おろか)、つい鼻の前(さき)なる郡代の矢場さへ覗きしことなかりき。されば、仲間の若者等には、交際(つきあひ)を知らざる唐偏朴(たうへんぼく)、さては愚頭(ぐづ)與太と綽号(あだな)せられて、列外(のけもの)にされたれども、我は我なり、人並に外(はづ)るればとて何かあるべきと、其(そ)を口惜(くちを)しと思ふ気色(けしき)だにあらざりき。

 されども、節(ほど)を知らず飽くことを知らず、量(はかり)なき酒料(のみしろ)ばかりかは、吉五郎が贅沢三昧に、與太郎一箇(ひとり)の腕に油を絞ればとて、いかでか支(ささ)ふることを得べき。稼いでも稼いでも、朝夕(てうせき)の出入(でいり)に不足を責められ、たまたま病気或は職業(しごと)なきため家に在れば、其日の料(れう)にも追はるる不始末。酒なければ瞬時(しばし)もあり難き、父が不機嫌を見るが可厭(いや)さに、四苦八苦の算段(さんだん)も尽きがてなり。加之(そのうへ)朝夕の炊事(みごし)も其手にすなれば、四六時中心も骨も折れ果てんとし、怠るとにはあらねど、自然(おのづ)と職業(しごと)に身の入らざる日さへあり。職業に身を入れねば、得意場(とくいば)の思惑(うけ)悪く、うけ悪ければ賃銭(かせぎ)も尠(すくな)く、結局(つまり)は父の不機嫌を見るこそ辛けれ。世をも人をも無情(あぢきな)く覚えて、今は根気も尽果てたるを棟梁の某(なにがし)見かねて、其(そ)が内幕を聞きもし協議(さうだん)をも遂げたる末、是を救はんには、女房を娶(も)つの外あるまじと勧めけるを、肉身分けし親子差向(さしむかひ)にてさヘ、円滑(まるく)は行き難き中ヘ、他人が入りてはと、與太郎最初(はじめ)の中(うち)は謝絶(ことわ)りたれども、女房は家を治むる道具、此(これ)なくては如何(いか)でか家治(をさ)まるべき、家治まらずば、いかでか世に立つことを得ベき、殊に父御(おやご)の介抱を委(たの)み置かば、後やすく心も長閑(のどか)に、職業にも充分(みツちり)身を入れらるべし。さすれば、自然(おのづ)と生活(くらし)も楽になりて、父御(ててご)への孝養も出来る道理にはあらずやと、真心ある勧めに承伏(しようふく)し、似合(にあは)しき縁もあらばと頼み置き、喜ばせんものをと、父へ其由を告げけるに、吉五郎は心中面白からず、嫁とは云へど心置かれて従来(これまで)の我儘はなるまじ、云はば敵(かたき)を二人にするも同じこと、今でさへ酒料(のみしろ)の不足勝(たらずがち)なるに、人一箇(ひとり)殖えるだけ影響(わり)を食うて溜るものかと、兎角に難じて應(うん)と云はねば、與太郎は板挟みになりて困(こう)じ果て、父不承知なるを如何にせん、押して娶(めと)らば却つて風波(ごたごた)の起る種ぞと、棟梁には謝絶(ことわ)りけるに、其様(そんな)没分暁漢(わからずや)の親があるものぞ、乃公(おれ)に任せよと、吉五郎に会ひて理害を諭しけるに、道理には横紙も破れず、渋面つくりながらも承伏しければ、相談(はなし)は早く嫁を迎ふるばかりに進みたりき。

 斯くて、棟梁が媒酌(なかうど)に迎へしは、何処へ出しても羞しからぬ容女(をんなぶり)、色白にて眼に権をもち、口尻あがり小股しまりて、半天を引掛(ひツか)け吾妻下駄(あづまげた)を突掛(つツか)けし姿は、與太には惜しきと仲間に評判(うはさ)され、羨まるる迄夫婦間(なか)は睦まじかりしに、何とかしけん廿三日目に逃帰りて、彼方(むかう)より無理離縁(ひま)を乞(と)りぬ。次に迎へしは、むツちりした丸顔、眼の下に黒子(ほくろ)ありて愛嬌ぽたぽたと落ちなん風情、年も十七咲出でし花に比べたりしに、或夜泣明せし次の日、吉五郎が洗湯(ゆ)へ行きし留守の間に見えずなりぬ。六人目迄は三十日とは辛棒せず、何れも逃帰りたれば、後には、何か有るまじき評判(うはさ)さへ立ちて、媒酌(なかうど)せんと云ふ者さへあらずなりき。七人目に来りしは、今の女房お都賀なりける。

 與太郎は六人の女房に懲り果て、此上は一生独身(ひとり)にて暮すの外なし、父を見送りし上ならば、また御相談をも願ひませうが、先づ其(それ)まではと、たまたま、世話せんと云ふ者あるをも謝絶(ことわ)りたりき。さるに、不思議なるは父の吉五郎、前(さき)に嫁を迎ふるは不承知なりしに似ず、頻りに與太郎を促し、一日も早く七人目を迎へよと云ふ。萬事に父の命(ことば)を背かざる與太郎なれども、懲りる仔細ありて懲りたりし今日(こんにち)、容易(たやす)くは承引(うけひ)かざりしに、餘りに迫らるる事の切なるより、又同じ事を繰返すも可厭(いや)なれど、詮方(しかた)なきまま無益(だめ)と思ひながらも、七人目を迎ふることとはなしけり。

 生来(うまれつき)の不具(かたは)ならねば、容姿(きりやう)には望みなし、気立素直にして実意深く、難物(むつかしや)の岳父(しうと)の機嫌を損ねざらん女をとの希望(のぞみ)。親ある身には道理ある希望なれども、何かが隠れなき評判となりたれば、與太さん一人の処ならば、望んでも遣りたきものなれども、あの岳父殿がと、後(うしろ)を見するもののみなりしに、去る人の世話にてお都賀と見合せし時は、いかに容姿(きりやう)に望みなしとは云ひながら、與太郎は此はと二の足を踏みたりしが、女らしき女には既(は)や懲り果てたり、此女ならば去る事もあるまじ、花ありても実なくば何かせん、外見は瓦(かはら)礫(こいし)なりとも、内に金玉(きんぎよく)を包みたらんこそ、家に取りての宝なるべけれと、即座にお都賀を娶るべしと約したりき。斯くと聞きたる吉五郎、喜ぶかと思へば不承知を唱へて、一つには家の飾りともなるべき女房、醉興にも程こそあれと難ずるを、一旦約せしを犬猫同様、掌(てのうち)かへす違約(へんがへ)もなるまじ、兎角(とかく)に私が望みなればとて、終(つひ)にお都賀を娶(めと)りたりき。前々(ぜんぜん)の六人の嫁には異(かは)りて、お都賀が輿入(こしいれ)の其夜より、吉五郎莞爾(にこり)ともせざれば、岳父(しうと)は辛き者とは聞きたれども、此(これ)ほど迄とは思ひ掛けざりき。とは云ヘ、兩親(ふたおや)には幼時(はやく)死別(わか)れ、頼みにすべき兄弟もなければ、親戚(しんるゐ)とても構つて呉れざる、生来(うまれつき)ならねど不具(かたは)に等しく、色も香もなき此身を、縁ものとは云ひながら、女房に為(も)つて呉れたる夫の志こそ忝(かたじけ)なけれ、岳父の何程も辛くば辛かれ、見事に辛棒為(し)遂げて、鬼を佛に為しなんこと、我心の持ち様(やう)一つなるべしと、お都賀は健気(けなげ)にも思ひ定めつ、留守勝なる夫、家にのみ在る岳父(しうと)の何(いづ)れへも、陰陽(かげひなた)なく真心もて仕へけるにぞ、今度こそはと、與太郎が頼母(たのも)しく思へるには引更(ひきか)ヘ、吉五郎は朝から酒びたしの我儘三昧、下女同様に追使へど、はいはいと柳のしなひには、野分(のわき)もすさぶに張合なく、兎角して一月余りは過ぎたりき。

 或日の夕暮なりき。與太郎は例の職業(しごと)に出でて留守なりしが、何事の発(おこ)れるにや、お都賀は俄然(にはかに)泣声立てつ、家外(おもて)へ逃出しぬ。一軒隔(お)きて隣家(となり)の老婆、其声を聞付けて馳来(はせきた)り、何事ぞと問へども、お都賀は仔細を云はで唯泣くのみ。家内(やうち)をさし覗けば、吉五郎眼を怒らして突立(つツた)ちたるが、家外(おもて)まで追出でんとするにもあらず、老婆が来りしを見て、何とやらん手持無沙汰の気色(けしき)見ゆ。

 老婆は解けかかりしお都賀が帯を引締め遣りつ、「泣いてちやア見ツともねえよ。まア如何(どう)したてえんだね。お都賀さん、私に理由(わけ)を話しなさるが能(い)い。吉さん、お前さんも、様子は知らねえけれど、まア勘忍して遣つて呉んなせいよ。與太さんは留守(ゐねえ)し、まア静かに。……お都賀さん、如何(どう)したてえんだよ。」と、雙方を押和(おしなだ)め、様子を聞糺(ききただ)さんとすれども、お都賀は尚ほ泣入りて言葉はなし。

「お媼(ば)さん、放棄(うツちや)ツといて呉んねえ。太い阿魔だ。其様(そんな)面(つら)アしてやアがつて、生意気を吐(ぬか)すない。與太が帰宅(けえ)つたら、何だとか吐(ぬか)しやアがつたな。うす野呂の與太兵衛(よたんべえ)を誤魔化しやアがつて、能い加減な作言(うそ)を吐(つ)きやアがると承知しねえぞ。何だッ、其面(そのつら)ア。隻目(はんめ)の蟾蜍(ひきがへる)よろしくてえ面ア為(し)やアがつて生意気な事吐(ぬか)すない。作言(うそ)つきやアがると、生かしちや置かねえから、さう思つてやアがれ。お媼(ば)さん、放棄(うつちや)ツといて呉んねえ。此様(こんな)強情な……太い阿魔ツちやねえ。與太に何とでも云つて見ろい。作言(うそ)をつくなら吐いて見ろい。」

 いざと云はば、打ちも掛りなん吉五郎が見脈(けんまく)に、老婆は仔細は知らねど、また例の一件ではあるまいか、まさか今度のに其様(そんな)事はと、尚ほ疑ひを存しつつお都賀を問詰むれど、泣入りて仔細を語らず、僅かに口を開きて、「何様(どんな)面ア為て居たツて、心まで……。」と、云掛くれば、吉五郎が噛付く如き怒声(どせい)に、云はんとしては云ひかぬる風情(ふぜい)なり。老婆は愈(いよい)よ其(それ)と覚(さと)れど、知らず顔に吉五郎を和(なだ)めつ、お都賀を慰めつ、兎角しける処ヘ、與太郎帰宅(かへ)りたりき。

 老婆は與太郎に対(むか)ひ、おのれが見し様子(まま)を語りて、仔細(しさい)は知らねど、お都賀どの悪きものなれば、悪き様に詫の為様(しやう)はお前の心に在るべし、憖(なまじ)ひに他人が入つたなら、そこには蓋も入(い)る道理、親子夫婦三人水入らずの和合(なかなほり)をと、好(よき)機会(しほ)にして帰り去りぬ。

 與太郎は詫をするにも、謝せしむるにも、さし当つて迷惑したれど、何がなしに酒の事と、泣居るお都賀を叱りて酒屋へと走らせ、何事も酒(これ)に免じてと、膳を賑はす下物(さかな)も二三品(ぴん)、飲(な)らぬ口ながら其身も唇を濡(うるほ)し、仔細は不言(いはず)不語(かたらず)、一場の段落(をさまり)はつきたりき。

 此よりの後、お都賀は岳父の顔を見れば、浅猿(あさま)しやと思ふ心の動きて、包むとすれど色に出づれば、吉五郎は口続けに隻目(はんめ)の蟾蜍(ひきがへる)と罵りつ、酒に怒を漏らして夫婦(ふたり)に当れば、與太郎が眉間(みけん)の顰(ひそ)み、お都賀が眼の赧(あか)からざる日とてはなかりき。

 斯かる中にお都賀は妊娠(みごも)りたりしが、他家(よそ)にては打祝ふべきを、吉五郎と云ふものあればこそ、因果を宿せしかの如く打歎く、夫婦(ふたり)の意中(こころ)こそ哀れなれ。

 

     三

 

 僥倖(さいはひ)にして血も上らず、胎兒(はらのこ)にも恙(つつが)なく、お都賀は夫の優しき心を塩釜(しほがま)の守札(まもり)とも縋(すが)りて、産婆来りし後は思ひの外に産も易(かろ)く、身二つになりし嬉しさ何物にか比(たぐ)ふべき。

 産声(うぶごゑ)にも力あり、男兒(をのこ)なりと聞くに、與太郎が喜ぶ顔を見るより、産婆も手柄顔に吉五郎が傍(そば)へさし付け、「御覧なさいまし。御器量好しで入(いら)ツしやいます。丸々とお肥りなすつて、此(この)お可愛いこと。まア笑ひさうな顔をなさつて。」と、笑(ゑみ)を含みつ、「さアお爺ちやんですよ。」と、愛想を花に孩兒(みどりご)を見せけるに、此時までも徳利を放さざりし吉五郎、振向きだにせざれば、産婆は継ぐべき言葉を失ひて呆れたり。

 與太郎は斯くと見て、産婆が思はん所も気の毒さに、「家爺(ちやん)、鳥渡(ちよいと)見て遣つて呉んねえ。折角産婆(をば)さんが連れてッて呉れたんだよ。可愛くもあるめえけれど、ねえ家爺。」と、促されたる吉五郎、「何だ見て呉んねえだ。何を見るんでい。」と、漸くにして朦朧たる醉眼を此方(こなた)へ向けたり。

「何だ、孩兒(がき)か。見ろてえな、此か。はゝはゝ、不思議だなア。此でも人間並の面アしてやアがるから、変梃来(へんてこらい)だなア。生れねえでも好いんだに……。痘痕面(あばたづら)もしねえで、眼も雙方(ふたつ)ある処がまア儲けもんだ。何だッて。可愛かろだア。産婆(をば)さん、串戯(じやうだん)云ひツこなしだぜ。自分(おいら)は此奴の方が、余程(よつぽど)可愛いや。なア、手前(てめえ)とが一番気が合つてらア。何時見ても憎くねえな、手前(てめえ)ばかりだ。さア、もう一杯(ぺえ)可愛がつて遣るべい。」

 吉五郎が言葉の終れる途端に、屏風の中なるお都賀、はアと声立てつつ泣く。産婆は驚き呆れながら萬一の事ありてはと、與太郎へ眼顔(めがほ)の指図に、與太郎はお都賀が手を屹(きツ)と握りしめ、耳に口を寄せて、「今始まつた事(こつ)ちやアねえや。耐忍(がまん)して。能(い)いか。気を落付けてなア。何と云つたッて能いや。今手前(てめえ)が如何(どう)か為(な)つて見ろ、おいらが困るばかりぢやアねえや、何にも知らねえ孩兒(がき)が、第一(でえいち)可哀想(かええさう)だ。耐忍(がまん)して呉んねえ。能いか。さア気を落付けねえ。な、な、な! 能いか。」と、吉五郎へ聞えざる程に慰め励ますなり。

 お都賀は夫の心配するが気の毒さに漸う涙を拭ひつ、袖より僅かに顔を脱(はづ)し、與太郎を見て言葉なく首肯(うなづ)きしが、見まじとすれど見ゆる屏風越の岳父(しうと)の顔の、悪鬼羅刹(あくきらせつ)よりも尚ほ怖ろしさと、当座の口惜(くちを)しさと、行末の覚束(おぼつか)なさとに、忍べども降りかかる身を知る雨に、又もや袖を蔽ひて泣く。

 斯くて其日は暮れぬ。次の日より與太郎は職業(しごと)を廃(やす)みて、お都賀が傍に付添ひ介抱なす。産婆への礼物(こころづけ)を始め種々(いろいろ)の費用(ものいり)、準備(おもひし)より二倍の上となりたるに、職業を廃(やす)める事とて、吉五郎が酒料(のみしろ)を云ふ儘に應ぜざればとて、不足のたらたらを、朝まだきより怒鳴り立つるに、與太郎が困(こう)じ果つるよりも、傍(そば)に聴く身のお都賀の辛さ。夫の志の難有きに付けても、少しも早く床を上げてと、心急ぎのみせらるれど、重病の後に等しき疲労(つかれ)に起きんとはもがけど、眼くらみ頭ふらつき、思ふ儘になり難きこそ術なけれ。

 遠慮会釈もなき父に追使はれ、酒屋其外への走り使ひ、孩兒(あか)を懐にしての炊事(みづしごと)、男の身にはなるまじき事を、いやな顔一つ見せず、朝から晩まで煙草吸(の)む間もなき與太郎が骨折心配(こころづかひ)に、お都賀は耐へ兼ね、剽輕(かるはずみ)してはと止めらるるを、最早(もう)何の事もなければと起出で、足元の危うきを見せじと踏みしめ踏みしめ、まだ鉢巻は得(え)脱(と)らで台所(ながしもと)に立働くを、岳父が例の悪口は例の癖と耳にも止めず、其日より夫を勧めて、職業(しごと)へと出(いだ)し遣りぬ。後髪ひかるる心安からで、與太郎は一軒隔(お)きし隣家(となり)の老婆に留守の間を注意(きをつ)けてと、萬事を頼み置きて、漸く職業に出づることとなしけり。

 一日も気の晴々(せいせい)すると云ふ事はなけれど、孩兒(あか)の命名日(しちや)も昨日と過ぎ、昨夜(ゆうべ)からは與吉(よきち)々々と、日に夜に可愛さの勝りて、宮参(みやまゐり)をも身分相応に済ましぬ。此頃は既(は)やそろそろ笑ひ掛くるに、食初(くひぞめ)の百日(そのひ)も明日となれば、贅沢らしうはあれども朱(あか)の膳と朱の椀、真似ごとに等しき形ばかりの品(もの)ならば、高価(たか)きことはあるまじ、今日の帰宅掛(かへりが)けに、お前さんの見繕ひにて、調(ととの)へて下されと女房の頼みに與太郎も首肯(うなづ)きて出行(いでゆ)きたれば、お都賀は心嬉しく、夫の帰宅を午前(ひるまへ)より待受けたりき。

 秋の日の暮れ易くて、隣家(となり)の質商(しちや)の土蔵に日影なくなりければ、お都賀は門に立ちて、夫の帰宅を今やと待ちける後に、大欠伸(おほあくび)しつつ午睡(ひるね)より目ざめし吉五郎、「げーい。あッあー、あー厭な気持だ。何だ、もう暮れるのか。暮れようが暮れめえが、夜が明けようが明けめえが、其様(そんな)事にやア用はねえ。やい、お都賀。居ねえのか。何だ、其様(そんな)所(とけ)へ茫然(ぼんやり)突立(つツた)つてやアがッて、如何(どう)したてえんだ。さア早く燗を為(し)ねえか。いや、燗する前(めえ)に、大阪屋へ行つて来るんだ。愚頭愚頭(ぐづぐづ)しねえで、早くしろい。」と、叱(しツ)するが如きは岳父(しうと)の例(いつも)の調子。

「おや、お起きなすつたの。今行つて来ますよ。」と、お都賀は内に入りて、財布を出して中を探れば、さても不思議、今朝まで正(たし)かに在りたる銀銅合せて二十何銭、何時の間に何人(だれ)が出せしか、数を尽して失せたるに胆を破(つぶ)し、驚き呆れて言葉も出でず。

 吉五郎はぎよろりと見つ、「如何したてえんだ。何だ、其様(そんな)面ア為やがッて。無えのか。酒買ふ銭(ぜに)が無えのか。」

「無い筈はないんだけれど……。」

「無えんだけれど、如何したてえんだ。」

「どうも不思議だ事。如何したてえんだろ。まア。」

「不思議だ。何が不思議なんでい。財布へ入れてえたのが、無えてんだな。」

「えー、正(たし)かに、私が入れといたのに……。」と、お都賀は首を一趣(かし)げたり。

 吉五郎はお都賀を睨みし眼を光らし、「なにを吐(ぬか)しやがるんでい。乃公(おれ)が窃取(どろばう)したてえのか。」

「あれ、お家爺(とツ)さん。さうぢやアありませんよ。」

「さうぢやねえ。さうでなきや、如何したてえんだ。やい、お都賀。考へて見ろい。能(い)いか。此家(うち)に居るものア、手前(てめえ)と乃公(おれ)と其孩兒(がき)と三人だ。能いか。其孩兒がよもや……手前の腹から出やアがつたんだが、手も足も動けねえで、眞逆(まさか)窃盗(ぬすツと)は為(し)めえよ。能いか。して見りやア手前誰が盗んだてえんだ。ふざけた言(こと)吐(ぬか)しやがると、承知しねえぞ。」

「あれ、まあ、お家爺(とツ)さん、何ですねえ。其様事が……。何人(だれ)が其様事を思ふもんですかね。」

「思はれて溜るかい。阿多福(おたふく)め。やい、隻目(はん)。手前能くも其様事を吐(ぬか)しやアがつたな。其様事を吐すからにや、手前手證(てしよう)を見たてえんだな。面白(おもしれ)えや。さア何処へでも引張つてけ。警察へでも、何処へでも突出して見ろい。」

 お都賀は今は泣声になり、「まア如何したら能いだらうねえ。お家爺(とツ)さん、気に触つたら勘忍して下さいよ、何も其様(そんな)事を思つて云つたんぢやないんですから。本統(ほんとう)に飛んでもない。何様(どんな)にでも謝罪(あやま)りますから。」と、吉五郎が前へ手を支(つ)き、詫言(わびごと)しつつ涙はらはらと落しぬ。

「ぢやア何だな。手前が譌言(うそ)を吐(つ)きやアがつて、其を乃公(おれ)の所為(せゐ)にする積りだつたんだな。」

「あれ、其様(そんな)……。如何してお家爺さんに……。其様可怖(おそろ)しい事を…。」

「いや、さうだ。其に違(ちげ)えねえ。うぬッ、如何するか見やアがれ。」

 吉五郎あはや立掛らんとするに、お都賀は與吉に怪我あらせてはと、「お家爺さん、勘忍して下さい。」と、叫びつつ與吉を抱へて、水口(みづぐち)より家外(おもて)へ逃出しけるに、折能くも與太郎帰り来りければ、お都賀は嬉しく、「お前さん。」と、ひしと夫に縋りて、遂に声を立てて泣出したり。

 與太郎は驚きながらも、また例の一件かと、故(ことさ)らに落付きて、其仔細を問(たづ)ねんともせず、目まぜにお都賀を制し、静かに家内(うち)に入り、股引足袋の塵埃(ごみ)を手拭もて払ひなどして、さて父吉五郎へ会釈しぬ。吉五郎は與太郎が落付過ぎたるに、一入(ひとしお)怒気(いかり)を加ヘ、「與太ツ、隻目(はんめ)を追出しちまヘ。彼様(あんな)阿魔を宅(うち)に置くことアならねえぞ。」

「えッ。」と、與太郎は父の顔を仰ぎて、「追出しちまヘッて。何だか知らねえが、家爺(ちやん)勘忍して遣つて呉んねえ。お都賀、手前早く来て謝罪(あやま)つちまヘ。不可(いけ)ねえぢやアねえか。此から気を付けろい。」

「謝罪つたッて承知出来ねえんだ。親に向やアがつて、窃盗(どろぼう)呼ばはり為やがつたんだ。」

「何だッて。家爺(ちやん)を窃盗だツて。お都賀、手前何を云つたんだ。家爺を窃盗なんて。他の事たア一処にされねえ。如何したんだ。如何した訳なんだ。さア其訳を話して見ろ。次第に依つちやア、おいらも承知出来ねえぞ、さア早く云はねえか。」

 夫にまで誤解(まちが)へられて何となるべき、とお都賀は先刻の始終を述べ了り、「いくら私が気が利かないからと云つて、お家爺(とツ)さんを窃盗(どろぼう)だなんて如何して其様事を云やアしません。其様可怖(おそろ)しい……。」と、云掛けて又もや泣声になり、末は確(しか)と聞取難し。

「はゝはゝゝ。」と、與太郎は笑ひ出し、「こりやア大失敗(おほしくじり)だ。家爺、勘忍して呉んねえ。お都賀、手前が悪いんでもねえんだ。おいらの大失敗なんだ。今朝手前が與吉(ばうず)が食初(くれえぞめ)の祝の、膳と椀と欲しいてえから、今日帰路(けえり)に買つて来て遣りてえと思つたんだが、懐合(ふところぐええ)が悪いから、手前の財布をはたいて行つたんだ。云つて置かうと思つたんだがつい忘れツちまつて……。」と、頭を掻(か)きつつ父に対(むか)ひ、「さう云ふ次第なんだから、家爺(ちやん)勘忍して遣つて呉んねえ。おいらが大失敗(おほしくじり)だ。」

 夫の言葉に胸撫下せしお都賀が眼前(めさき)へ、與太郎は買来りし註文の品々を列べたり。

 お都賀は膳と椀を手に取上げ、「お前さんが持つてくなら持つてくと、さう云つて置いてお呉れだと、此様(こんな)事にやならないのに。其を聞いて、実に安心したよ。」と、云ひつつ手にせし物を熟(つくづく)視て、嬉しさは色に見えて莞爾(につこり)し、「好い事ね、可愛らしくツて。」と、ひねくり既(は)や余念なげなり。

「塗が好(い)いから、思つたよりか散財(おご)つて来た。財布の底を払(はた)いちまつて、これ此通りだ。」與太郎財布を払(はた)き見すれば、お都賀は心に驚き、ぢツと夫の顔を見る。與太郎も其(それ)と気付きて、失敗(しくじ)りたりと思へば、自然(おのづ)と眉間(みけん)も曇るめり。

 様子を見居たる吉五郎、「與太、そりや何でい、鳥渡(ちよツと)見せな。何だ、孩兒(がき)の祝(いええ)の膳椀だと。馬鹿野郎め、何の真似為(し)やがるんでい。大事の親の口を乾しやアがつて、其様(こんな)真似為て見てえんだな。えーツ。」と、罵るかと見る間に、足を上げてお都賀が方(かた)へ蹴付けたり。

 あなやとばかりお都賀身を避(かは)せば、膳は飛んで柱に当りて縁(ふち)離れ、椀は不運にも與吉が頭をはたと打つ。わツとばかり泣出せば、余りの事に與太郎も、「家爺(ちやん)、お前も余(あんま)り……。」と、云掛けしが思返し、さし垂頭(うつむ)きて眼を閉(ねむ)れば、お都賀は我も共音(ともね)に泣きつ、「ええ、たがよたがよ。」と、與吉が頭を撫でつ擦(さす)りつ。

 

     四

 

「如何(どう)だの、お都賀さん。今日は些(ちツ)たア快(い)いかの。」

 水を汲みにとて、井戸端に来りし隣家(となり)の老婆、溝(どぶ)を前にして小兒(せうに)の襁褓(むつき)を洗浄(きよ)め居るお都賀に声掛け、背に負ひたる與吉が顔をさし覗き、「睡眠(ねんね)だね。あれ笑ふよ、夢を見てるさうな。ほゝほ。まア何(なん)てい可愛い顔だらう。あれ、また笑ふよ。吉(きち)さんにや可愛くねえのかの。可哀さうに、酷(ひで)い事を。まだ熱は解(と)れねえかい。飛んでもねえお祖父さんだなう。」

「あ-、まだ解(さ)めねえで困るのさ。」と、お都賀は老婆の顔を仰ぎ見、「詮方(しかた)がねえやね、長(なげ)いものにや巻かれろてえから。だがね、此兒(このこ)も可哀想だよ。罪もねえ、何にも知らねえものを……寧(いツ)そ死んぢまつた方が、此兒の幸_(しあはせ)かも知れねえよ。ねえ、をばさん。」と、さし垂頭(うつむ)きて眼には涙見ゆ。

「戯言(じやうだん)お云ひでないよ。お前(めえ)が其様(そんな)ぢや為様(しやう)がねえよ。なにお前、何時まで生きてられるもんでねえやね。其中(そのうち)にや楽にならアね。短気を出さねえで、辛棒してお居でよ。御覧な、また笑つてるよ、孩兒(あかんぼ)は本統に仏様だなう。與太さんも辛(つれ)い事(こツ)たらう。お待ちよ、私が汲んで遣るから、早く溢(あ)けてお仕舞ひよ。さア能(い)いかい。」

「はい、難有(ありがた)うよ。はばかり様。本統だよ、與太さんが可哀想さ。自分(てめえ)の亭主を称(ほ)めるんぢやねえけれど、彼様(あんな)好人物(いいひと)は滅多にありやしねえよ。本統に可哀想(かええさう)だよ。ねえお婆(ば)さん。大概(てえげえ)の人なら、いくら親だッて、如彼(あんな)に為(さ)せちやア置かねえやね。自分(てめえ)勝手を云ふんぢやねえけれど、お家爺(とツ)さんが居なかツたら、與太さんも何程(いくら)楽だか知れやア為(し)ねえよ。與吉坊だツて、此様(こんな)酷い……。」

「本統にさ。だがね、憎まれ者何とかとやらでね、自由(まま)にやならねえもんさ。もう長(なげ)い事もあるめえよ。」

「勿體(もツてえ)ねえけれど、余(あんま)り辛(つれ)い時や、其様(そんな)感情(かんげえ)も出るのさ、與太さんを楽にしてえと思ふとね。」

 お都賀は洗ひし襁褓(むつき)を綟(しぼ)らんと腰を伸(の)し、露路(ろじ)より見ゆる本街(ほんどほり)の往来(ゆきき)ざわつけるを見て、「お婆(ば)さん、何かあるのかねえ。往来が大層賑かぢやアないかね。」

「うー、彼(あれ)かい。彼(あり)やお前(めえ)葬送(おともれえ)があるんさ。」

「何家(どこ)から出るんだらう。何人(だれ)が死んだんだらうねえ。」

「私も今聞いたんだがね、それ此先の呉服屋の甲州屋さんね。彼家(あすこ)の旦那が一昨日(をとてえ)の朝死んでたんだツて。其をお前、同室(おんなじとけ)え寝てえたお_さんが、些(ちツ)とも知らなかつたてえんで、世間ぢや種々(いろん)な事を云つてるんさ。可哀想(かええさう)に彼(あ)のお_さんが、彼様(あんな)可愛らしい顔をしてえて、眞逆(まさか)に其様(そんな)……。情人(いろをとこ)があるの何のツて、世間ぢやア云つてるんだが、眞逆其様(そんな)事アありや為(し)めえよ。」

「おや、まア。眞逆ねえ。其に何(なん)だてえぢやないかね。今ぢや厳重(やかま)しくツて、薬種屋だツてお上の規則があるてえから。」

「そりやアさうだがね。さうばかりも云へねえやね。『亭主投げるにや、何(ど)の手が好かろ、青い蜥蜴(とかげ)に蝿虎(はえとりぐも)まぜて』ツて、唄にせえあらアね。」

「おや、其様(そんな)唄が。」

「お前なんざア知るめえよ。私(わし)の娘の時代(じでえ)に流行(はや)つた唄なんだよ。『青い蜥蜴に蝿虎まぜて』、その後(あと)ア何とか云つたツけ。中々流行つたもんさ。」

「青い蜥蜴に蝿虎まぜてツて。可怖(こは)い唄だ。あゝ、慄然(ぞツ)とする。」

 折から甲州屋の葬送(とむらひ)露路前を通ると聞くより、老婆は其を見物せんとて、溝板(どぶいた)に下駄踏み返しつつ走り行く。お都賀は小唄を聞きてより、身柱(ちりげ)寒き心地し、顔色さへ変りて、葬送を見んともぜず、少時(しばし)は茫然として立ちたりしが、吉五郎に呼ばれて、急ぎ我家に入りたり

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 四五日過ぎての午後(ひるすぎ)、お都賀は井戸端に、我が夫幼兒(をさなご)の衣服(きもの)を洗濯しけるに例の老婆も濯物(すすぎもの)せんとて出来(いできた)り、何時も話種(はなし)は盡きぬものにや、世間話に余念なし。

「お婆(ば)さん、何の事もありやア為ねえよ。唄なんか虚譌(うそ)なんだね。」

 お都賀は斯く云ひて何気(なにげ)なき體(てい)。老婆は聞くより吃驚(びツくり)し、覚えずお都賀の顔を見詰めたり。

「唄なんか虚(うそ)だツて。お都賀さん、お前……。」と、丸くせし眼に前後(あとさき)を見廻し、小声になりて、「お前、試(ため)しでも為(し)たのかい。」

「なアに。ほゝほゝゝゝ。お婆(ば)さん戯言(じやうだん)云つちやア不可(いや)だよ。」とは云へども面色(めんしよく)かはり、無理笑の声淋しげなり。

「其(そん)なら能(い)いけれども、私や吃驚しッちまつたよ。」

「なアにね、唄なんかに在ることア、大概(てえげえ)虚(うそ)だから、青蜥蜴なんか何にもなりや為(し)めえともつて。云はねえでも好いことを。ほゝほゝほゝ。」

「そりやさうさ、其様(そんな)事があつちやア溜らねえよ。お前の所(とこ)の吉さんなんざ、何を食はしたツて効くめえよ。青蜥蜴で無効(いかな)きやア、黒蜥蜴でも食はして遣るさ。はゝはゝゝゝ。」

「お婆(ば)さん。其様(そんな)事を。あゝ、可怖(こは)いこツた。」

「さうさね。串戯(じやうだん)にも此様(こんな)事は。おや、もう暮れるよ。」

「私ももう止さうよ。お婆さん、また明日(あした)。」

「あー。與吉坊又熟睡(ねんね)だね、ぢやアお去らば。與太さんが帰(けえ)つたら遊びにお出でよ。」

「えー、難有(ありがた)う。」

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 或夜の事、與太郎は仲間の集会(よりあひ)に夜を深(ふ)かし、帰宅せしは十二時余程過ぎし頃なりき。

 戸外(おもて)より声を掛くれども答なく、戸をたたけども返辞なし。詮方(せんかた)なさに戸をこぢ明けて内に入れば、燈火(ともしび)消えたり。不審為(し)ながら尚ほお都賀を呼びけるに、鼾声(いびき)だに聞ゆることなし。加之(かのうへ)可厭(いや)な臭の胸を突くばかりなれば、心驚きせられて、火鉢を探り当てて燧木(マツチ)取出し、火を擦るより打驚きて、覚えず尻居(しりゐ)に倒れたり。父吉五郎耳口より血を吐き、拳(こぶし)を握りて死し居たるに、與太郎はあッと一声(ひとこゑ)、吃驚(おどろき)に打たれて何事としも弁(わきま)へず。お都賀も見えねば、與吉も見えず、如何(いか)にせしやらんと、此(これ)にも思ひ惑へる折しも、隣家(となり)の老婆入り来り、懐には與吉を懐(いだ)きたるに、與太郎は一層疑ひ起りつつ、様子や知りたると問へば、老婆も吉五郎が様に胆を潰して、少時(しばし)は息をもつかざりき。

 老婆も様子は知らねど、今より一時間ばかり前にお都賀来りて、買物に行きて帰り来る中、與吉(これ)を預りてと云ふに、今宵に限らず幾度も先例(ためし)あり、何の仔細もあるまじと預りたりしが、今しも與太さんの声聞えしより、與吉(ばう)を返さんとて来り見れば、此有様に胆を潰せしなりと云ふ。

 與太郎は早くも手洋燈(てランプ)を点(とも)し、四辺(そこら)見廻せば、今しも我が引出せし火鉢の抽匣(ひきだし)にや挟まれたりし、手紙らしきものの落ちてあり。手早く取上げ見れば、お都賀より與太郎へ残したる遺書(かきおき)なりき。與太郎は此にも胆を破(つぶ)し、遺書を見詰め、読めども其意を解(と)り得ず、持ちし手の戦慄(うちふる)はるるのみ。

 

 ……自分ながら自分の気が明(わか)りませぬ、何を為たのか、唯夢の様な気が致し候、怖くて居ても立つても居られませぬ、死にに参り申候、私は気が違つたのだから、気違ひだと思つて、何卒(どうぞ)勘忍して下さいよ、お前さまを楽にしたい、他(ほか)に願ふ事は何にもないのです、私(あたし)を打(ぶ)ちたいでせう、殺したいでせう、私も殺されたいのが願(ねがひ)に候、お前様のお帰りを待ち候へども、待つて居る中(うち)も怖くツて、家内(うち)に居る事が出来ず候、坊はお隣の媼(をば)さんに預け置き候、可哀想なのは坊に候、坊に別れるのは悲しいけれど、生きては居られない私は悪人、人を、家爺(おとツさん)を、勘忍し下され度(たく)候、悪人の子だけれどもお前さんの子だから、可愛がつて下され度候、私は死にに行きます、達者で居て下さい、坊も達者で居て下さい、あー書きたい、種々(いろいろ)な事が書きたい、もう書けませぬ、まだ忘れた事が澤山あり候、坊を頼み候、悪いけれども勘忍して下されたく、どうか察して下されたく、此(これ)ばかりが願ひに候、もう紙が……

 

 紙尽きて筆も亦尽きたり。尽きざるは與太郎が遺憾(うらみ)と涙(なんだ)となり。傍より差覗く老婆も涙禁(なんだとど)め敢(あへ)ねば、懐中(ふところ)なる與吉も何に魘(おび)えてか、わツとばかりに泣出(なきいだ)しぬ。

 人を頼みて警察署へ訴ヘ、検視を受け手続きをも済し、其夜は父の屍(かばね)を守り明し、心には掛りながら、お都賀が行方は探しかねたりき。

 翌朝まだきに、警察署よりの召喚(せうくわん)に出頭し見れば、濱町河岸(がし)の杭に流れ掛りし水死の女あり、人相其方(そのはう)が妻(さい)に似たればとの申渡しに、それはと駈付け見れば、面影も変らざるお都賀の死骸に、與太郎は人目も羞ぢず泣き倒れたり。

 嫁と舅なれども敵(かたき)同士を、同じ日にも為(さ)されまじと、二日引続いて二箇の棺桶に、施主(せしゆ)は與太郎と與吉と一日づつ、知れると知らざると、見る者泣かざるはなかりき。

 昼間は乳を貰ひにとて、夜間(よる)は泣く子をすかさんとて、或(ある)は人の門に立ち、或は子守歌うたひ歩く、物の哀れは與太郎が上にぞ止めたりける。

 

(明治二十八年五月)

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